1997  プレイステーション・ゲーム・ソフト『ランナバウト』のサウンドトラック盤『ランナバウト』を発表、当時まだゲームのBGMといえばコンピューター音が主流で生演奏が収録されることがほとんど前例がなかった為、内外から多大なる評価を得ることに。

 同時に、栗田伸広(bs)、酒井昌史(gt)、みやけこういち(dr)を率いたライヴを、契約の都合上中シゲヲ名義で行っていたが、めでたく5月に行われた横須賀かぼちゃ屋にて「ザ・サーフコースターズ」として出演、ここに第4期ザ・サーフコースターズが誕生した。

1998

 中シゲヲ(gt)、栗田伸広(bs)、酒井昌史(gt)、みやけこういち(ds)の新生サーフはライヴ活動をコンスタントに行い、ファンハウス(現BGMファンハウス)と契約、アルバム『サーフデリック』を発表。しばらく遠ざかっていたよりオリジナルなサーフ・ミュージックに意欲的に取りかかった作品であった。

これとほぼ同時に酒井がヴォーカル、中が作編曲、松本隆作詞によるユニット「ease」の「おもいでの夏」をリリース、大ヒットとはいかなかったが有線チャートでは大奮闘した。この年久々のワンマン・ライヴも行い、順調と思われたが・・・。
 

1999

 この年不況のあおりで世の中リストラが席巻し、サーフを取り巻く環境も激変するはめに。

 起死回生を狙い企画されたのが中シゲヲ(gt)と小西康陽のコラボレート『NAKA SHIGEO plays PAUL MAURIAT』だった。名は知らなくとも誰もが一度は耳にしたことがあるであろうポール・モーリアの楽曲を中シゲヲ(gt)のギターと小西康陽のアレンジで料理するという意欲的かつ画期的な作品だったが残念ながらヒットには結びつかなかった。

そしてザ・サーフ・コースターズ入魂の一作『THE SURF COASTERS』。この作品はダビングを最小限に抑えた全曲一発録りのスタジオ・ライヴ盤であり、メンバー全員が体力の限界にまで挑んだ意欲作だったが、すでに時代は甘くなく、ろくに流通されることもなく闇に葬られることになってしまった。

 ならばとこの年の年始に録音されたドリームキャスト・ゲーム・ソフト『スーパー・ランナバウト』サウンドトラック盤『スーパー・ランナバウト』をインディーズ・レーベルからリリース。ただゲーム・ソフトのサントラという性格上と、レコーディング時期にみやけこういち(ds)が病気でドラムを叩けなかったこともあり、サーフコースターズ本来のサウンドと懸け離れた作品になってしまった。

 しかし年末にはサーフコースターズとして初の全国ツアーを行い、より一層の結団力を見せつけていった。
 

2000

  3月酒井昌史(gt)が自己のバンドを結成する為脱退。

 その直後残った3人でプレイステーション2ゲーム・ソフト『サーフロイド』のサウンドトラックに着手することになる。かなりの強行スケジュールで体も精神的にもボロボロになりながらもそのサントラ曲を含むオリジナル・アルバム『SURF is DEAD』を完成させ、本人達的にも満足のいく作品であった。

  同時にサーフ初のベスト盤『フライ・アップ〜ベスト・オヴ・ザ・サーフコースターズ』もリリース。また植木等のリミックス・アルバムに参加したり、その後もツアーを続けるが、ここにサーフに悲劇が襲いかかることに。

 学園祭出演を含むツアー中、瀬戸大橋で事故に遭うはめに。メンバー、スタッフの乗る機材車は大破する大事故だったが、奇跡的に全員軽傷で済んだ。だが、みやけこういち(ds)は手首を骨折し、しばらくドクター・ストップがかかりドラムが叩けなくなってしまったのであった。実はこの時期、すでにみやけこういち(ds)は個人の事情により翌年に脱退することが決まっていただけに、バンドにとってもみやけこういち(ds)にとっても辛い状況となってしまった。

 事故前に録音された楽曲が12月にザ・マーガレット・ラブ・ランジェリーとのスプリット盤『六人の刺客』として発表、だが、その発売記念に合わせたツアーは前半はキャンセルすることに。
 

2001

 1月に行われたザ・マーガレット・ラブ・ランジェリーとのツアーではみやけこういち(ds)が復帰し、その後数本のライヴを経て3月のライヴでみやけこういち(ds)が脱退。同月オルガンで西田貴世美が加入。すでに次作のレコーディングが決まっていた為、早急にドラマーが必要だったが決まらず、セキ ナオタカにレコーディングを依頼、レコーディング終了後に正式加入する。

 コナミ・エンタテインメントから発売された新メンバーで録音されたアルバム『イースター!!』はオルガンとファズ・ギターをフューチャーしたサーフの新たなスタイルを披露することになった。夏にはツアーも行われるが、中シゲヲ(gt)個人の活動も活発化し、バンド内部的には決して順風満帆とはならなかった。

2002

 レコード会社をコナミからインター・レコーズに移し西田貴世美(or)のオルガンを全面的にフューチャーしたアルバム『レスプリ』をリリース。そもそも中シゲヲ(gt)は新作のレコーディングそのものを拒否していた時期なだけに本人的には不本意な作品となってしまったが、ENDS遠藤遼一が参加しシングルにもなった『ハートに火をつけて』やボーナス・トラックとして収められたスタジオ・ライヴ「レジェンド・オブ・サーフ」など聴きどころはある。

同時にプレイステーション2ゲーム・ソフト『ランナバウト3ネオ・エイジ』のサウンドトラック盤『ランナバウト3ネオ・エイジ』も発売。これもリリースを前提としてなかった為不本意な作品であるが、セキ ナオタカ(dr)の処女作や通常のサーフでは聴けない楽曲、中シゲヲ(gt)のブルージーなギターが聴けるアルバムである。

 ニュー・アルバムを掲げて夏にツアーを敢行、宮崎の野外イヴェントを最後に約半年の活動休止に入る。

2003

 西田貴世美(org)が脱退、残った3人中シゲヲ(gt)、栗田伸広(bs)、セキナオタカ(dr)で活動を再開する。

 コロムビア・ミュージック・エンタテインメントから発売された『サーフ・アタック』のレコーディングには元メンバーの八木麻紀や酒井昌史も駆け付け、またオルガンでリキテックスのゆみや、タイトル曲にて抜群のナレーションとブルージーなハープを聴かせてくれるバーレスク・エンジンのコハ・ラ・スマート氏らが客演、全編迷いのないストレートなサーフ・ミュージックを披露した。

アルバム・タイトルはコハ・ラ氏のナレーション原稿からとったものだ。ちなみにサーフ・ミュージックの大手サイトRIVERB SENTRALにて5つ星という世界的レベルにおいても評価を得た作品になった。

 夏には恒例となったツアーを行い、暮れにはサーフコースターズ初のアコースティック・アルバム『p.m.』をリリース。デヴュー前のレパートリー「ニュー・イースト」や篠原ともえに提供した「レインボー・ララ・ルー」、定番曲「ミザルー」といったセルフ・カヴァーを中心にした意欲作である。

(C) 2004 SURF COASTERS.